(´Д`)y-~2(そして願わくばE)

id:guide:20040424#p2

「皮肉」を投げかけた対象を「疑っただけ」と言う事
はもちろん詭弁ではありませんよ。

この後に「皮肉」とは何かを述べてますね。

A/  「皮肉」とは、強く疑う場合に用いられる、その時の気分の表明である。
B/  それは、対象を(犯人だと)「強い疑念」を持つ場合に用いられる。
C/  したがって、皮肉を投げける対象を(犯人と)「断定」したとは言えず、「疑っただけ」と言うのは、詭弁でもなんでもない。

「嘲笑」ではなく「皮肉」であるということですね。
そこで、「皮肉」の語義を明解にしてみましょう。あなたも好きな「詭弁の見抜き方」も
「4.主観で決め付ける」と言ってますので、何らかの客観性を求めましょう。
語義ですからまず広辞苑を引いてみましょう。

ひ‐にく【皮肉】
3)骨身にこたえるような鋭い非難。
4)遠まわしに意地わるく弱点などをつくこと。あてこすり。「―たっぷりの挨拶(アイサツ)」

ちょっと判りにくいですね。では「あてこすり」とは何かを引いてみましょう。

あて‐こす・る【当て擦る】
[自五]他の事にかこつけて、遠まわしにその人にあてつけ、皮肉や悪口を言う。「それとなく―・る」

まだ判りにくい、「あてつける」ことらしい。

あて‐つ・ける【当て付ける】
[他下一] (文)あてつ・く(下二)
2)はっきりそれと言わずに、何かにかこつけて悪く言う。あてこする。日葡「アテテ、または、アテツケテイウ」

また「あてこする」に戻ってしまいます。
「はっきりとそれと言わずに、何か、にかこつけて悪く言う」事だそうです。
これは「遠まわしに意地わるく弱点などをつくこと」という直接の字義とも適合しそうです。
ちょっと「嘲笑」についても引いてみましょう。この端末には広辞苑がインストールされているので非常に便利です。

ちょう‐しょう【嘲笑】テウセウ
あざけってわらいものにすること。「世間の―を買う」

あざけ・る【嘲る】
[他五]
1)ばかにして笑う。見さげて悪口を言う。嘲笑する。三蔵法師伝延久頃点「嗤アサケルこと無かれ」
2)(自動詞として) 興に乗じて勝手な口をきく。また、風月などに興じて
吟ずる。後拾遺序「月に―・り風にあざむく」

あまり変わらないような気がしますが。
まあ、ここは「嘲笑」ではなく「皮肉」であるという主張を容れましょう。
「はっきりとそれと言わずに、何か、にかこつけて悪く言う」事、または「遠まわしに意地わるく弱点などをつくこと」と言う「皮肉」。

疑問に思っただけ」で、それを皮肉混じりに言うと「w」がつくのです。「w」がついたらいきなり「断定した」ことになるのなら、その根拠を願います。

その根拠はあなたご自分で書いてますね。

「あからさまに怪しいのに、まだ何も言わないとは・・・」という意味ですね。

つまり、あなたは「あからさま」と見ているわけですよね。
あなたは既に「あからさま」に「怪しい」という立脚点に立っているわけですよね。はっきりとは言わないけれども、遠まわしに「弱点」(つまり彼等被害者の「嘘」とあなたが思っていること)をついていると。そしてそれが「弱点」となるには、「皮肉」となるには、あなたと誰かの間でそれが共通認識となりうるとあなたが思っているわけです。なのでまだ保留、懐疑の段階に居るものにはこの「皮肉」からは単に「悪く言う」という部分だけが汲み取れるのですが。共通認識に立っている。つまり「嘘を見抜いた」とする者たちの間ではそれが「皮肉」として成り立つのでしょう。この誰かというの存在が真に存在するか否かは不確かですが、あなた自身が「見抜いた」という断定に立っているのは明らかではないかな。

「あからさま」も広辞苑で引きましょうか?

最初のわたしの引用(7)で摩り替えられた論理は、あなたが既にあからさまに「自作自演説」に立っているのに「疑っただけ」としたということではないんでしょうか?
やはり
「嘲笑を投げつけておいて、後に単に「疑った」だけと言うのは、これ詭弁と言いませんかね?」

なぜあなたたちが、「疑うこと」にそんなに過敏になるのか理解できません。メディアへのリテラシーは、報道を「疑うこと」から始まるんですよ。あなたたちはおそらく「善人だから」それを疑うのは罪である、と思っているのでは? 受け取る情報を対象によって区別し、特定の対象の情報を「疑っちゃダメだ」と言ってしまって良いのですか?

一つ言っておきますが「あなたたち」というのは誰なんでしょうか?その前の沢山の質問にもありましたが、個々に主観を持つ人達をひとまとめに見てかかると「陰謀論」かなんかに行きついてしまいますよ。
「疑うこと」は否定しません。どんどん疑いましょう。しかしこの時に2つ大切なポイントがあります。
1つは礼儀を失わないと言う事です。疑っている段階では「悪く言う」(「あてつける」の語義より)ことは差し控えた方が良いですね。現にあなたもあなたの立論を懐疑してコメントを付けたヒトに対して「礼をわきまえない」と投稿制限したんですよね。彼等も「疑っただけ」なんじゃないんですか?自分に礼を求めるのならば、他人にも礼をもって接しなければならないでしょう。三蔵法師さまも「嗤アサケルこと無かれ」とおっしゃっているようです。
二つめは疑う順序です。まず真っ先に自分自身を疑うべきです。自分自身が「あからさま」と思っていることをまず疑うべきで、持論の傍証を集めるよりは、自己の立論に否定的な情報から立脚すべきです。
まず、自己の無謬性ありきではどんどん詭弁に落ち込みますからね。