第二話

アパートの電気を点け、テーブルの上にコンビニで買ってきた弁当を乗せた。テレビを点けパソコンを起動する。テレビには昼の間録画された美少女アニメの再放送が映し出された。
パソコンをチェックすると何通かのメールが来ている。何通かは読む意味もないような広告やらメイルマガジン、あるアイドルメイリングリストではまたあいつがバカな事を書いてきていた。また反論を書いてやらなけりゃいけない。勿論直接反論するのではなくて当てこすりの形で。
社会的に「儀礼的無関心」という話題が盛んになった。お互い不愉快にならないように儀礼を持ちましょうという意見だった。なんだか偉いヒトたちがいろいろな法律とかを作り始めた。そのうちメールとかインターネットにエージェントシステムとかいう仕組みが導入されて、お互いに不愉快になるようなメールとか掲示板投稿ができなくなった。それ以来こういう風に滅茶苦茶な暴言を吐いても誰も直接の反論ができない。勿論、自分自身のエージェントを設定すればこういう暴言も読む前に捨てられてしまう。だけど僕としてはこのメイリングリストの品質というものを守らなくてはいけない。だからこのメイリングリストにだけは一切のフィルターをかけずにいる。
弁当を食べ終えアニメも終わると窓際に向かった。双眼鏡で“彼女”の窓を確認した。まだ今日も帰ってきていない。“彼女”とはインターネットで知り合った。反論を書きながら彼女のサイトを開ける。今日の更新は無いようだ。エージェントシステムが出来てからネットアイドルという人達が増えた。それ以前は女性がちょっとでも顔写真とかを掲示するとすぐに掲示板を荒らしたりといったバカな真似をする人達がいたようだけれど、今ではエージェントがそのような妨害を修正してしまう。僕も何人かのネットアイドルのサイトを訪れるようになったが皆和気藹々として凄く良い気分だ。そのうちに“彼女”に出会った。“彼女”は特に写真が好きで沢山の写真をサイトに掲載してくれている。そしてそれらを見てびっくりしてしまった。その中に「家の周りの散歩」というシリーズがあり、その風景は僕も見慣れたものだったからだ。同じ町内なんだとうれしく思った。また「ベランダのガーデニング」というシリーズを見て更に驚いた。なんとそこには僕の住んでいるこのアパートが写っていたからだ。すぐにその写真からどのアパートかは特定できた。確かにそのサイトに紹介されている花が見える。この時の興奮は忘れられない。その週末、秋葉原に出かけたついでに双眼鏡を買ってきてそれ以来ずっと“彼女”の観察を続けている。
彼女のサイトの掲示板は最初の訪問から半年間はROMというようなエージェントがあるようでまだ僕は参加できていない。最初からメールを送ろうかとも思ったけれどもそれも恥ずかしいので止めている。しかしROMを続けているおかげで彼女の好きなアーチストとか作家はバッチリチェックしているし、掲示板の参加者も知らないような事だって僕は知っている。もう2,3ヶ月もすれば僕も掲示板に参加できるしきっと仲良くなれるだろう。「え?●●町にお住まいなんですか?」とか言える瞬間が楽しみだ。
窓の外を見ると“彼女”の窓に明かりが点いている、帰ってきたんだ。双眼鏡で覗くとやはりそうだった、キッチンで夕食の用意を終えると窓を開けてベランダに出てくる、植物に水を上げる為だ。食事の間は死角になって見れない。時々カーテンを閉め忘れてパソコンに向かう事があるようでそんな時は頭を掻いたり、何かを見て笑っている彼女がよく見える。今日はどうなんだろうと見ていると不意に視界に黒いものがよぎった。双眼鏡を放し直接見ると僕は息を飲んだ。ベランダに誰かいる。
そのベランダの誰かは窓に体をつけて中をうかがっているようだった。僕はどうしようかと思った、警察、警察に電話しなきゃと思ったけどけれど事情をどう説明すればいいんだろう。まさか覗きをしていてなんて言えないし。もう一度“彼女”の窓を見ると人影が消えていた。空き巣かなんかで人のいる彼女の家は入るのを止めたんだろうか。手に汗が出てきた。パソコンの画面ではにこやかに笑っている彼女の写真が写っている。暫くするとまた人影が現れた。窓に何か始めたようだ。食事中はベランダで息を詰めて待っていて“彼女”がシャワーかお風呂に入った隙に窓をこじ開けようとしているんだ。ああ、どうしようか。警察にやっぱり連絡しなければ、けれど覗きなんかしていたと判れば会社とかどうなるんだろう。そんな事を考えている間に人影は窓を開けて中に入っていった、窓を閉め、カーテンを引く。暫くして部屋の電気が消えた。