ブログに対する一つのアイディア

今回の問題(イラク人質事件)で掲示板とブログ(はてなではダイアリー(日記)という(ねえねえ、東京に出てきたんだからブログにしましょうよ))の相違が見えてきた。
掲示板では一定の話題を軸にリニアに投稿が積み重なってくる、それに引き換えブログでは個々の“住人”がそれぞれにページを構成していく、その為に掲示板で言う「既出」が多くなる。(植草一秀ネタは見飽きた*1)しかし、これにも良い面があって、個々のページを構成するということが、それまで掲示板などであれば「今、○番は良い事いった」の一言で済んでしまったような感想にたいしても、一定程度の主張を引き出すという働きをしているように思う。
また、掲示板では引用しての言及がリニアにされているのに比べ、ブログでは各所に対して逆放射線状に引用言及されているような感じになる。こうなると掲示板であれば直線的に記事を読んでいけば良いのに引き換え、ブログの場合面的に広がった様々な議論を見なければならないということにもなりかねず、全体を把握しようとする時には大変な事になる。(今回の件でいえば、大きくは「自衛隊撤退VS自衛隊撤退反対」という軸があるのだろうが、その上に「自衛隊派遣賛成VS自衛隊派遣反対」という軸もあり、この両者が二次元的に絡まって議論が展開されているように思う。
そして興味深いのは、これらの議論を相互に結びつけるコンテンツの存在だ。
「hotsumaのURLメモ」
http://d.hatena.ne.jp/hotsuma/20040411
※比較的古風な集約の仕方と、はてなのキーワードから「プロ市民」「自作自演」という言葉に注目して再構成したコンテンツ。
「―戯言@はてな―」
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20040411
※浅田と勝谷の主張に対する反応を集約して見せている。
そして圧倒的なのが
「iraq_rachi」だろう
http://pwiki.chbox.com/news/pukiwiki.php?iraq_rachi
※基本資料と共に、各主張を「自衛隊撤退派&一時引き上げ派」「自作自演・陰謀論派」「自衛隊撤退反対派」「経済関係」「ネタ」「その他&未分類」などに整理されている。

このはてなの場合、リファー、トラックバックキーワードリンク、更にコメントなどコンテンツを結ぶ仕掛けは設けられているが、今回のように錯綜した議論が展開されている場合、それを一望させてくれるコンテンツは非常に有意義だと思う。
今後、このように平面的な(時にはもっと多元的な)主張の整理を自動的に行ってくれる仕掛けができれば。興味深いことだと思える。

一言追記しておくと、今回の問題で色々と懐かしいヒトの文章も見た。日頃はアニメだとかアイドルだとかコンピューターだとか地震速報だとかの話題を扱っている人々が興味を持って発言しているからそれぞれの世界に収まっているが、このような問題で心が動いたということなんだろう。確かにこの問題が与えたインパクトが言われるよりは大きいんだと思える。

*1:何人かは来ると思ったけど50人は来過ぎじゃないか

どうするんだ?文科省

「太陽は地球の周りを回っている」…小学生の4割
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040412-00000306-yom-soci

小学生の4割は「太陽が地球の周囲を回っている」と思っている――。国立天文台の縣(あがた)秀彦助教授らが行った調査で、天文現象に対する子供たちの理解の乏しさが浮き彫りになった。

確か、理科の図版などを一律三割削減したわけだよな。
それは戻すらしいけど、失策は失策として誰か首を出さないのか?

戦争とは

戦争というのは単に「意思の表明」って事だろう。何かの政治的目的を達成する為に行うのが戦争な訳だから外交の一形態といえる。


ルール強 外交 アマチュアボクシング

 |   戦争 プロボクシング

ルール弱 テロ ストリートファイト

ってな図式になるだろうね。殴り合いには変わりはない。

勝谷誠彦という存在

自作自演派の人々の主張をいろいろ読ませていただきました。非常に興味深かった。一々を論って議論はしたくない。頭っから「プロ市民」とか来られるともはやこれは議論の対象ではなく趣味の問題としかいえない気がする。2つちょっと気になったのは、例えば北朝鮮拉致家族会にはシンパシーを感じられるヒトたちが今回の人質事件の家族たちに反感を感じるのはなぜなんだろうか、というような事だな。(もちろん、北朝鮮拉致問題において被害者は通常の日常生活を送る上で拉致され、今回の人質事件においては危険な地域に自ら入っていって人質となったという差はある。しかし、その家族は同様に子や兄弟の無事を願っているのだろう。本人ではなく家族に、そしてその想いにどのような違いがあるというのだろうか。また両者を比較していったい何が言えるのだろうか)
次に、イラクの国民やイラクの現状に対する無理解が感じられる。わたしが「自作自演」に対して懐疑を持つもっとも大きな要因は、現地では米軍が活動をしているのであって、もし「犯人役」は見つかれば殺されるだろう。という推察による(そのリスクを承知で自作自演している可能性は確かにある)。つまり、前にも書いたが日本の国内で小遣いに詰まったガキが思いつきで狂言誘拐をするのとは訳が違うということなんだ。
さて、そんな中で読んでいておかしな事に気が付いた。「自作自演派」の人々の中で共通するジャーゴンというのがあるように見受けられた。「脳がピンクに染まった高校生上がり」(つまり“アカ”に成りきっていないということだろう)とか「街頭で騒いでいる頭の中に桜が咲き誇っている方々」といったような表現だ。ひょっとしてこれ
勝谷誠彦の××な日々」
http://www.diary.ne.jp/user/31174/
劣化コピーなわけか?
勝っちゃんも拉致家族会と今回の家族たちを比較しているし。意味があるのか?
はしゃぎまわっている様子を見ると非常に痛々しいし。
更に何か脳内妄想で「今回こそガチンコで国論二分論戦だ!」とか言ってるし。
更に更に今日になって危険な事言ってるし。(敢えて転載も、指摘もしません。飛ばしであってもマジで人質の危険に関わる情報だと思います)

ナニがカレラをそうさせるのか?

所謂イラク人質事件「自作自演説」が一体どこから来ているのか。という事をあれこれ考えてみたいと思う。

某所で採取

それとも、イラク復興から脱落し日本の地位を貶めて、世界からまともに相手にされなくなれとでも?
やだよ俺、海外に行った時に馬鹿にされるのは。

敢えてどことは書かない。これが「誇りある国際社会にその地位を占めたいと願う日本の国民」の姿というやつなんだろうか。

ここのヒトと論争をしようというわけではないのでこれもやはりどこからとは明記しない。(わたしと論争したいというのなら受けて立つけど)

ボクは絶対撤退反対だったし、この3人は本当に非常識だと思う。まず、共謀の自作自演の疑いがあるし、(彼らは元々自衛隊派兵反対の人たち)脅しに乗ったら、今後同様の事件が頻発する。何人も殺されてるアメリカだって駐留続けてるのに。「危険な地域」に自衛隊を派遣することに反対らしいけど、本当に「危険な地域」だってことを理解していたのだろうか、と思ってしまう。結局、名目だけの反戦運動なのかな。こーいう自分の命を危険にさらす、人質にするよーな平和活動は大嫌い。「人間の盾」だとか、グリーンピースだとか。それで誰にも迷惑がかかんないんならいいけど、そんなわけないし。

個人的には、極論だけど、別に日本は軍隊もったっていいと思うんだけどね。普通の近代国家は持ってるものだし、敗戦国のドイツにだって存在してるんだから。日本に軍隊が無いから結局最終的な部分ではアメリカに頼らざるを得ないしね。

靖国問題だとか、理屈の前に何でもかんでも戦前と絡めてケチをつけるのはいい加減終わりにした方がいいんじゃないかなぁ。

比較的「当たり前」の意見なんだろうかな。所謂単純な反戦平和論者なら「自分がその戦闘によって死ぬという当事者意識のなさ」を嘆くのかしれないけど、米国などの志願兵制度でも兵役を希望する青年は居るわけだ。
論理的な荒っぽさよりも、どうも「反戦平和」とかそれにまとわりつく「ナニカ」が嫌悪感をもたらすのだろう。