便所の落書きに振り回される社会

「小学生刺す」と再度脅迫 保護観察処分の18歳少年
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040321-00000060-kyodo-soci

インターネットの掲示板に「小学生を殺す」と書き込んだとして昨年5月に脅迫容疑で逮捕され、保護観察処分になっていたさいたま市桜区の無職少年(18)が、再び同様の書き込みをしていたことが21日、分かった。
 少年は「むしゃくしゃしてやった」と話しているという。浦和西署は犯行を繰り返す恐れがあるとして少年をさいたま家裁に送致、少年は鑑別所に入所した。
 調べでは、少年は2日午前6時半ごろ、インターネットの掲示板に「登校中の小学生でも襲って来るか」「包丁でメッタ刺しにして来るか」などと書き込んだとされる。掲示板の接続記録から犯行が分かった。
 少年は昨年5月、同じインターネットの掲示板に20数回にわたって「さいたまの小学生を殺します」などと書き込んだとして脅迫容疑で逮捕された。(共同通信

どうするつもりなんだろうね。「便所の落書き」と言われた「インターネットの掲示板」にアホがむしゃくしゃして書きなぐった「殺す」だの「包丁でメッタ刺し」だのの言葉を真に受けて今後も検挙し続けますか。近所の電信柱にラッカーで落書きするより簡単な「便所の落書き」に右往左往させられるこの社会ってのはなんなんだろうね。

結局のところ放置するぐらいしかないだろうにね。マスコミももうそろそろ「インターネットの掲示板に犯行予告」なんて書くのはおよしなさいよ。警察には犯罪を予防的に防止する職責があるとか言われますが、まったく完全に防犯がなされた、なされる社会なんて想像するだけで反吐が出そうだよ。マスコミがそうやって喜んで取り上げれば、警察に「インターネットの掲示板監視」という仕事が増えて、予算がついて、誰が喜ぶかって言えばそれを所管する警察の上のヒトだけなんだわな。その煽りをくって掲示板を毎日毎日閲覧してるヒトも居るみたいだけどご苦労様なこった。同情するよ。

さて、わたしは結局セキュアな社会なんぞ出来やしないと思っている。一回前の「意味」というキーワードについて考えてみてもそうだ。「意味をキーワードに登録したい」という価値観と「意味をキーワードに登録したくない」という価値観はお互いに排他的で共存不能*1。しかしこんな事は枝葉末節に過ぎず、「キーワード登録荒らし」やら「キーワード抹消荒らし」それに「トラックバック荒らし」やら「トラックバックたらい回しジャパン」だとかいろいろ出てくるだろう。
ここらで気が付くべきだ。わたしらの周りにはほかっておいても危険物を積載したタンクローリーは走り回っているし飛行機だのヘリコプターだのが飛び交っている。それでなくても東京に直下型の地震が起きれば100人に付き何人かは死ぬと保証されているんだろ。今わたしらが「危険である」または「許容できない」と思っているものは、それを煽る事で何等かの利益を得ようとするものが煽っているだけなんじゃないか?または誰かの神経症的な危機感に感化されているだけなんじゃないか?
それとは別にこういう事もある。
小泉は「テロの脅威に屈しない」と言っている。国民にテロの脅威に右往左往するなと言っている。これはまったく為政者としては無責任な発言だ。イラク開戦支持と言う表明、更に自衛隊派遣と言う決断をした段階で日本国民がテロに晒される危険性は増えた。この危険性は対米追従をしない場合のリスクに較べて国益に資していると小泉は判断したのだろう。イラク派兵にどのようなメリットがあり、どのようなデメリットがあるか、まったく説明もせずにそのデメリットが眼前に差し迫った時に「それを気にするな」とは為政者の発言じゃない。この無責任。更に「イラク大量破壊兵器がある明確な証拠がある」と語った言葉は先の大戦大本営発表を髣髴とさせる。
無謬性という嘘つき、己の地位に汲々とするという無責任は官僚制の病理だが、この日本は先の大戦による敗北以降もこの病理を取り除けなかった。大本営は消滅したがそのメンタリティーは大蔵省、外務省、更に内務省の流れを汲む警察機構に受け継がれているんだろう。思い切り話が横にそれた。
とは言っても、結局誰もテロなど防止はできない。セキュアな社会なんぞだれも保証できない。わたしらはその危険の上で生き続けるしかない。今、ふと「屋根の上のバイオリン弾き」という言葉が頭に浮かんだが。わたしらの「生」においてセキュアなどというものは目的でもなければ、生活における絶対条件でもない。ほどほどにそれと感じさせられればそれで充分な属性でしかない。
ならば、すべてから目を塞ぐか。すべてのアラートに耳を塞ぐか。実は逆だと思う。全ての情報をさらけ出すべきだ。情報の偏りが社会を捻じ曲げ、その隘路に飯の種を見つける奴が居る。この日本でもっとも情報が集約するのが霞ヶ関で、その情報はわたしらの金を使って集められているわけなんだけれども、直接的にはわたしらの為に何ぞ使われはしない。結局その情報をどのように使おうか権限を持った人間たちの飯の種になるに過ぎない。



てな事言ってたらこの有様だ。
女子高生が発信源 ピリピリ市場、円一時売られる
http://www.sankei.co.jp/news/040320/kei043.htm
引用ばかりも芸が無いのでかいつまんでみると。
渋谷を歩いていた女子高生が「道を聞いてきたアラブ人に、19日午後5時に渋谷駅前のハチ公付近には行かない方がいい、と忠告された」という携帯メールを友人に送ったところ、それが一部の市場関係者にも届き、「テロの予告」として一気に広がったという。おかげで19日の東京外国為替市場で、一時円が売られたんだと。
高度情報化社会と言うのは情報にセンシティブな社会であって、実は非常に脆弱な社会なんじゃないのか。

つーか、知らなんだ。「永谷園論争」という言葉が一人歩きしている。
http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/column/faq2.htm
(;´△`)

*1:厳密に言えば「うっとうしいキーワードを排除するという仕組みがあればいいのであって、それは今の仕掛けでも実現可能だろう。つまりカテゴリーに普通名詞どうよう、「うっそうしいキーワード」でも作って無頓着ならリンクされ、気になるならこのカテゴリーを抜けばいいんじゃないのか?