意味の意味と意味の意義

いまこのはてなで「意味」という言葉をキーワードに指定することが是か非かの話し合いが行われているようだ。(詳しくは「意味」のリンクを参照)

意味の意味

  • ある表現に対応し、それによって指示される内容。
    • ある言語形式によって示され、表される内容。または、その指し表し方の型。わけ。
    • 言語・作品・行為など、何らかの表現を通して表され、またそこから汲み取れる、その表現のねらい・かまえ・こころ。
  • 物事が他との連関において持つ価値や重要さ。

(以上、広辞苑より)

人間は誰しも心の中に世界の写像を持っている。この心の中にある世界の写像と、実際に世界にある事物との関連を「意味」というのだろう。その事物が自分の中の世界観と一切の関連付けを拒否するのならば、その事物は「意味が無い」という事になる。例えば、街でうろうろしているような女子高生に平成15年度衆議院予算委員会議事録を見せたところで彼女の世界観にその議事録と接合する部分が見当たらなければ彼女にとってまったく意味がないということになる。またその事物を関連付ける際に独特な接合の仕方もできるだろう。例えば、先の女子高生と議事録の関連でいうと。彼女にとってその中身であるとか議事録の持つ意味(他の社会との関連)は無くとも、その意匠であるとか雰囲気が何等かの彼女の感覚に触れる部分があったとして部屋にでも飾ろうという事になれば彼女とこの議事録の関係は構築され、彼女にとって一つのオブジェというような意味が生まれる。
「意味」という言葉、現象自体はこの「関連」を差しているだけなんだが、その「関連」の積み重ね及び表出が、間接的にそのヒトの持つ世界観をおぼろげながら露わにしてくれると言える。

意味の意義
つまり、「意味」という「関連」を捉えることで、そのヒトの世界観が表出される。そのヒトの描く外部社会の写像が、実際に外部にある事物への意味の付加(関連付け)によって少しづつ露わになっていく。
こう見てくるとそのヒトが「意味」を言明したり、文章の上で記述すると言う行為は、そのヒトが何等かの特定の事物に向かって、そのヒトの世界観、内面社会を語る事になるだろう。

一般的にこの世界観は個人差がさしてないように捉えられている。「平成15年度衆議院予算委員会議事録」といえば圧倒的に多数のヒトにとってそれは行政府である衆議院における主用分会である予算委員会における政府と与野党間で交わされた議論の記録であるが、ヒトによっては「まったく意味の無いもの」(つまり、上記のような理解もすらもできないもの)であるかもしれないし。一部のヒトにとってはわたしの思いもしない理解の下に置かれるかもしれない。つまり、先の女子高生の例で言うように、その意匠だけに意味が付加されるかもしれない。
ヒトはヒトと直接に疎通を図ることはできない。
つまり、ヒトとヒトのコミュニケーションとは、ヒト―ヒト間ではなされていない。つぶさにみれば明らかなようにヒト―ヒト間のコミュニケーションと見えるような事例であっても、実はヒト―事物―ヒトといった間接的なコミュニケーションがなされるだけである。本質的にヒト―ヒト間のコミュニケーションは不可能であり、誰かの世界観と他の者の世界観は通訳不可能である。可能であるのはヒト―事物―ヒト間のコミュニケーションであり、ヒトは個々に他者の築く事物―ヒト間の関連を観察し、更にそれを己の世界観と接合させるだけだろう。
簡単に言えば、ヒト―ヒト間のコミュニケーションを図ろうとするものは、自分の世界観を誰かに理解して欲しいという欲求に突き動かされがちであるが、それは無理で、実際に行えることは他者の事物―ヒトの関連を観察し、己の世界観を再構築する事ができるだけである。つまり、コミュニケーションとは各員の行う、己の世界観の再編の謂いに他ならない。
「意味」という言葉を巡って、このディスコミュニケーションが起る事は非常に興味深い。

尚、一部に誤解があるのでここで正しておくが、この人はよく仲裁っぽい雰囲気で議論
(というか揉め事)に入っていくが本当に仲裁する気などさらさらなく単に混ざりたいだ
けであるのでそこを誤解してはならない。
http://d.hatena.ne.jp/fake-jizo/20040223



ぜんぜん本線とは関係ないけど(また「変なヒトを連れてくるな」と言われそうだな)
http://d.hatena.ne.jp/shikine/
香ばしそうなので「おもしろおかしくウォッチ」したい。